MIA 戦後50年 日本の家具デザイン展 (商店建築1995年11月号)

海外通信/モンツァ
イタリアの家具産地で日本家具展
中塚重樹

モンツァの一般消費者向け家具展示会

ブリアンツァはイタリアを代表する高級家具の産地である。この地方の家具生産は18世紀末にミラ ノの金持ちが週末に滞在するための別荘建築やモンツァに離宮を建てるために多くのマイスターを招聘したことから始まる。そして20世紀初頭には多くの家具 職人が集まって一大産地が形成され今日に至っている。現在では古典的な家具よりも現代的なデザインの家具生産量の方が多くなっているが、他のイタリアの産 地と比べてみてもやはりブリアンツァの家具というと今でも高モノである。

モンツァ市に本拠を置くMOBIL ITALY BRIANZAという家具職人組合との出会いが今回の展示会を開くきっかけであった。1年半ほど前に大阪のホテルニューオータニの改装に伴って客室の椅子を2種類イタリアで作れないか、という話を受けていくつかの産地を尋ねたが、比較的小ロットで品質の高いものを作るのはイタリアでもなかなか難しい注文であった。既製品を大量に流す工場はウディネへ行けばいくらでもあるし、ペサロはコントラクトファニチュアに強い工場があるがコスト面と対応がとても難しい。そんな訳でミラノに住む私の仕事のパートナーである寺尾純氏と最後に行き着いたのがモンツァにある工房であった。

幸い折からの円高リラ安でコスト面は何とかクリアーできたが、苦労したのは製作管理である。綿密に打合せたつもりでも、出来上がると少しずつディテールの解釈が食い違うという経験から思いついたのは、現地の職人さんに現在の日本のトップレベルの商品(作品ではない)を直に見せることができないかということだった。

毎年9月にこの地で開かれる MIAという展示会があり、今年50周年を迎えた。ミラノ・サローネのようにデザイナーや家具のバイヤーといった業界人のためのものとは違って、現地の一般消費者向けに、職人組合と小売店組合で構成された半官半民の組織によって運営されるこの展示会に、「戦後50年・日本の家具デザイン展」を文化催事として併設してもらうことが最終的に決まったのは、わずか3ヶ月前のことであった。

クオリティーの高さで好評

9月16日~24日の会期中、平日は夕方5時から11時の開場という勤め人に合わせた会場運営などきめ細かな心配りに、この小さな町で5万人の入場者を数えるなど、やはり住まいや家具への関心といった住文化の違いは大きいと感じた。日本製品に対する一般の人達の反応はイタリア製品とさほど違いはなかったが、職人たちはクオリティーの良さを特に高く評価しているようだった。

会期3日目にふらりと会場に 現れたエットーレ・ソットサス氏に感想を聞いてみた。「椅子の歴史のない日本なのによくやっている。特に製品一つ一つの仕上げはどれも見事なもんだ。これ が日本のもの作りの伝統なのだろう。」「しかし、精密機械でもない家具にここまで手を入れることでコストアップしなければ良いが。」何気なくポツリと言っ た後の言葉に日本にいては気づきにくい、もの作りのひとつの方向性が示唆されているように私には思えた。

日本の家具業界の課題

日本の家具業界は今、デフレ経済の中、コスト圧迫に苦しんでいる。さらに需要はますます多様化し、従来の構造で市場に対応するにはすでに限界を超えているわけである。にもかかわらず日本人の製品に対する神経強迫症的な厳しいチェックのために、さらには最近の悪法PL法のために、コストの安い海外での製作はクレーム多発で難渋を極めている。

では、それほどまでに厳しい目で選んだものを大事にするかというと、いとも簡単に手放したり壊したりするわけである。見えないところまで気を使う日本のもの作りの良き伝統はコストアップ要因であるのは言うまでもなく、それは日本が人件費の安かった時代の名残であり、今や世界一の高コスト国家での家具作りは見直さざるを得ない状況である。それには売る側も買う側も共に意識の変革を必要とするであろうが、この面ではおそらく一般消費者の方が一歩先を進んでいるのではないかと思われる。そうしたハード面の意識変革の後の本当の競争力とは独創性、すなわち真のデザイン力での勝負にあることは言うまでもない。さらにこのことは家具産業だけの話ではなく、デザインを必要とするすべてのジャンルに言えることである。

〈なかつか・しげき / アルクインターナショナル〉

商店建築1995年11月号 株式会社商店建築社